海に消えた黒田郷
白鳳地震(はくほうじしん)は、白鳳時代(飛鳥時代後期)の天武天皇13年(684年)に起きた巨大地震で、南海トラフ沿いの巨大地震と推定されています。
土佐の黒田郷は、その大地震で海に沈んだといわれ、高知県下各地に様々な伝承があります。今回紹介するのは、その中の一つ浦戸にまつわるお話です。
今は昔、現在の浦戸の南方にまだ黒田郷が陸続きであった時分のこと、その海岸に一人の貧しい漁師が乳呑児をのこされて妻に死なれ、毎晩乳を欲しがる赤ン坊を抱いて困っておりました。すると、ある晩近所では見たこともないような気品のある婦人が現れて、赤ン坊のために一つの美しい玉をくれました。
漁師がそれを赤ン坊の口のあたりに持っていってやると、今まで火のつくように泣いていた赤ン坊がぴたりと泣き止め、その玉を口にあてて乳を飲むようにチュウチュウと音をたてて吸いはじめました。其れからというものは、漁師はこの玉のおかげで赤ン坊を育てることが出来、赤ン坊もみるみる中に元気をとりもどし、まるまる太ってたっしゃになりました。これを伝え聞いた近所の悪者がこの玉を盗んで金にしようと思い、漁師に留守の間に赤ン坊から玉をうばって逃げてしまいました。
夕方漁師がわが家に帰ってみると、はげしい赤ン坊の泣き声が聞えます。漁師がおどろいて赤ン坊を抱き上げてみると、心配した通り不思議な玉を盗まれております。漁師は泣きさけぶ赤ン坊を抱いて途方にくれました。すると、その時またさきの婦人が現れて、「玉を盗んで行ったものはわたしにもよくわかっている、まだ遠くには逃げていない、わたしのほんとうの姿は黒田郷の沖にすむ龍神であるが、わたしが玉をただちに取りかえすためにはお前たち親子に、これからすぐに北の方の浦戸というところまで逃げてもらわねばならぬ」と告げて姿を消してしまいました。
漁師は半ばうたがいながらも、今までの不思議なことを考えて、取るものも取りあえず北へ北へと山を越して逃げのびました。明け方近く漁師が今の高知港の入り口にある浦戸のあたりまで来た時、それは今から一千二百数十年も昔の、前にお話した白鳳十三年の天地もひっくりかえるほどの大地震が起って、黒田郷は一瞬の間に海の底に沈んでしまいました。
漁師親子はその後この浦戸にいつくようになって、子供も不思議によく育ち、この浦で年をとるまで漁師を続けたということでございます。
(土佐の民俗叢書「土佐の傳説(第二巻)」桂井和雄著 昭和29年10月15日発行)
日本書紀より
「人定(亥の刻)に至りて、大きに地震る。国こぞりて男女叫び唱いてまどいぬ。則ち山崩れ河湧く。諸国の郡の官舎及び百姓の倉屋、寺塔、神社、破壊の類あげて数うべからず。是によりて人民及び六畜多く死傷す。時に伊予の温泉、没して出でず。土佐国田苑五十余万頃、没して海と為る。」※「亥の刻」は22時頃。
2019年11月29日17:50花街道長浜海岸から西の空を見る。土星・月・金星・木星が接近して並んだ。
684年11月29日暮れゆく夕空を見上げたであろう黒田郷の里人たちはその数時間後には地震が起きることを知る由もなく。
高知コア研究所では白鳳地震の調査をしており、【爪白海底に沈んだ石柱が物語る高知県の津波地震・巨大台風災害の記録
~水中遺構から黒田郡伝承に迫る!~】という調査研究の詳細があります。
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