高知港沿革
以下の年表については未確認の情報も含まれ、現在精査中、編集作業継続中ですのでその点お含みおきください。
承平 4 年『土佐日記』に「大津より浦戸をさして漕ぎ出づ」と紀貫之が記す
室町時代 土佐沖を通過する南海航路の寄港地となる
天正年間(1574~1592)長宗我部元親、港口南勝浦浜に突堤を築造 種崎 に元親波止を築造
慶長元年(1596)8 月 26 日 スペイン船サンフェリペ号暴風雨に遭い浦戸湾に漂着
寛永年代(1624~43)兼山波止築造
万治年間(1658~60)龍頭岬に燈明台(常夜灯)が設置さ れる
安政2年(1855)西洋式模型蒸気船の製造を命じて湾内で試運転
文久2年(1862)土佐藩の海軍修練方『浦戸湾実測図』制作(高知県立図書館所蔵)
慶応 2 年(1866)湾内の北部にある九反田に開成館を建設して軍艦局を設ける
明治19年 港口の大碆と中碆を破砕
明治21年 港口に砂州が広がり閉塞し浸水被害
明治30年頃 潮江に岸壁築造 鉄で造った小さな「浮き桟橋」を設置
大正03年 桂浜旧灯台下に防砂堤
昭和5年 浦戸港修築
昭和13年 港名が高知港に改められる
昭和26年 重要港湾に指定される
昭和32年6月 高知県港湾審議会に種崎半島掘り抜きを含む高知港長期改修計画諮問
昭和35〜45年 高知港港湾計画着手(防波堤 岸壁築造 用地造成 狭島の爆破除去 航路開削等)
昭和35年6月 港口切り取り、湾内70万坪埋め立てを骨子とする改修計画策定
昭和36年10月 改修計画修正(1万トン級岸壁を5千トン級に縮小)
昭和38年9月 横浜埋め立て計画修正(44万坪を30万坪に縮小)
昭和43年1月 高知県港湾審議会に最終計画(横浜地先に1万トン岸壁、埋め立て4万坪)諮問
昭和45年3月 高知県港湾審議会、最終計画策定
昭和45年8月 台風10号災害により湾内埋め立て計画、横浜地先計画中止
昭和47年 湾口に浦戸大橋完成
昭和49年 港湾計画改定(種崎地区に大型船対応の新港建設計画)
昭和56年 港湾計画を種崎地区から仁井田地先に変更
昭和63年 高知新港建設着工
平成10年 高知新港一部供用開始、3万トン級船舶の入港が可となる
平成25年 想定を超える津波に備えるための防波堤改良工事に着手
平成26年 高知新港メインバース供用開始 大型外航クルーズ船の入港可能となる
平成28~43年 南海トラフ巨大地震・津波対策高知港海岸三重防護保全整備事業
平成28年から始まった高知港海岸三重防護保全整備事業の概略
(資料:国土交通省)
※年表のうち昭和32年から45年については三里史談会大平山第30号「高知港改修と浦戸湾(中山操)」から引用
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