南洋に雄飛した森小弁
22歳の森小弁を乗せた帆船天祐丸(91トン)が横浜港を出港して南洋を目指したのは明治24(1891)年12月のことでした。航海の途中で台風の暴風雨に巻き込まれて大変な目に遭いながらも、翌年2月に赤道のすぐ北にある春島(現在のミクロネシア連邦チューク州にあるウェノ島)に到着しました。島に降り立ったのは小弁1人。ヤシの葉葺きの小屋で、飲料水は雨水に頼るという不便な生活が始まりました。
当初貿易会社の社員として商売を開始しましたが、1年後に会社がなくなり、以後独立します。夏島(現トノアス島)に移り、コプラ(せっけんやロウソクの原料)などを現地で買い付けました。その頃島に貨幣はなく、対価として日本から持ち込んだマッチ・ランプ・衣類等の雑貨をコプラと交換するというものでした。
明治29年、銃に火薬を詰めている最中に火薬が爆発し右手首を吹き飛ばします。治療のため日本に一時帰国し、仁井田にも里帰りをしていたようです。島に戻った小弁は、明治31年にウェノ島の酋長の娘イサベルと結婚し11人の子どもに恵まれます。やがて自身も酋長になり、貿易業を営む一方で、その利益で学校を作り、また産業育成に尽力するなど島の発展に貢献しました。
昭和15年「杜落開拓者森小弁翁顕彰碑」が建立されます。その時に開催された運動会には島民1万5千人が参加しました。まさに大運動会です。小弁は昭和20年に75歳で他界しましたが、子孫は直系だけでも千人以上になります。小弁のひ孫にあたるエマニュエル・マリー・モリ氏が第7代ミクロネシア連邦の大統領を務めるなど、森ファミリーはミクロネシア連邦の政財界で活躍しています。
昭和58年に三里史談会や親類縁者などで結成した訪問団がウェノ島(旧春島)を訪れ、熱烈な歓迎を受けました。その後も森ファミリーとの交流は続き、平成20年には大統領に就任したエマニュエル・マリー・モリ氏が来高し、三里小学校の郷土資料室に展示されている森小弁に関する資料などを見学、児童らと交流しています。
また、令和元年は小弁の生誕から150年という記念の年で、ミクロネシア連邦から小弁の孫やひ孫たち総勢7名が来高しました。一行は森家祖先の墓、三里小学校、エマニュエル元大統領が記念植樹した牧野植物園などを訪れました。
【森小弁略年表】
1869(明治 2)土佐郡北新町(現在の高知市桜井町)で出生
1871(明治4)父可造とともに一家大阪へ
1880(明治13)父可造が死去、仁井田へ帰郷
1882(明治15)海南学校通学
1883(明治16)兄正教を頼り再上阪
1885(明治18)小弁大阪事件に連座
1889(明治22)上京
1890(明治23)大江卓、後藤象二郎の玄関番に 早稲田専門学校政治科入学中退(?)
1891(明治24)一屋商店入社
1892(明治25)トラック島に上陸 武器を手に島々に遠征
1893(明治26)一屋商店閉鎖 コプラ仲買人として独立
1896(明治29)火薬事故で右手首を失い治療のため一時帰国 仁井田にも帰郷
1898(明治31)酋長の娘イサベル(日本名伊佐)と結婚
1899(明治32)第一子長女子が生まれる
1907(明治40)仁井田の叔母宛にハガキを送付
1914(大正 3)南洋群島守備隊の政務顧問に就く
1917(大正6)高知県長岡郡三里村役場に婚姻届出
1918(大正 7)水曜島に学校建設
1919(大正8)南洋の文化紹介の功績で高知県知事から木杯
1923(大正12)初孫正隆生まれる(孫は全部で94人)
1926(大正 8)11人目の子六郎生まれる
1931(昭和 6) 三男三郎日本軍に召集、小弁この当時に水曜島の大酋長に就任
1939(昭和14)四男四郎第40師団に入隊、小弁勲八等瑞宝章
1940(昭和15)夏島に小弁の顕彰碑建立
1945(昭和20)75歳で死去
【参考資料】
・夢は赤道に 南洋に雄飛した土佐の男の物語(高知新聞社刊)
・三里のことども(三里小学校開校100周年記念誌)341頁 橋詰延寿「南洋に雄飛した森小弁」
・目で見る三里のことども151頁[294]肖像写真
・三里史談会誌大平山
大平山2号表紙「ハガキ画像」 61頁 林重道「森小弁のハガキについて」
大平山3号30頁 林重道「南海の楽園トラック諸島に森ファミリーを訪ねて」 林恵「随想 青い珊瑚礁で」
大平山11号16頁 「森小弁の孫来高」 中屋勇次郎「森四郎への手紙」 中尾良子「トラック島へ旅して」 「森小弁資料」
大平山12号35頁 資料トラック島森小弁関係その2「南洋群島」
48頁 資料トラック島森小弁関係その3「森小弁 椰子樹の鼠害」
大平山18号27頁 林重道「森小弁のファミリーと系図」
大平山25号2頁 内川清輔「森小弁の祖先」
大平山27号34頁 中尾良子「再々度訪れたチューク(旧トラック島訪問記)」
大平山35号13頁 内川清輔「ミクロネシア連邦モリ大統領 三里来訪」
大平山43号106頁 戸梶秀海「森小弁の子孫が三里小学校を訪問」
【その他資料】
・「冒険ダン吉」になった男 森小弁 (将口泰浩著 産経新聞)
・戦前の南洋日本人移民の歴史(丹野勲著 神奈川大学)
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