斎藤唱水と種崎

おもかげは三穂にやかよふ海原の波路につづくいその松原

 
1703元禄 16 年、五代藩主山内豊房に召し抱えられた江戸の文人斎藤唱水が種崎浦の千本松原(現在の千松公園)を訪れ詠んだ歌。
「斎藤唱水日記」
『土佐國群書類従』第9巻(紀行部、歌文部)吉村春峰/編(高知県立図書館)


土佐十景の碑(千松公園内)大正15年建立

土陽新聞社(現高知新聞社に統合)が県民投票により選定・建立した土佐十景の碑


 土佐十景は種崎千松公園のほかに甲殿川、手結、横浪三里、双名島、小室ノ浜、四万十川河口、吉祥寺跡、轟の滝、大国山が選ばれ、おそらく同様の碑が建立されているものと思われます。 景勝地というにはなんともお粗末な風情になってしまったのは種崎千松公園だけではないでしょうが・・・明治時代に県立公園「久方の海岸」と指定された当時の面影は昭和時代の高知港開発ともに消え去ってしまいました。 現在は堤防に取り囲まれて波のない穏やかな種崎海岸ですが、昔の海岸は今とは様子が違っていました。