玉井重助と天狗の話

 

画像:三里小学校開校百年記念誌「三里のことども‐重助の天狗斬り」
 
玉井重助の天狗斬り
 仁井田に玉井重助なる者あり。名刀を帯びて一日甲殿文庫城を通りしに天狗出づ。重助心得たりと抜く手も見せず斬りかかりしに神通力を備えたる天狗にかなふべくも非ず。襟首つかまれ仁世渡川尻迄投げらる。然るに重助は名刀此の時天狗の羽を斬りたれば彼重助は羽をもちたるまゝ帰れり。後天狗其の物を返せと迫りしも何分の名刀保持者なる故手荒き事も出来ずありしが後重助此の刀を他に譲る。而して天狗に羽を返せしが此の返報とて玉井家其の後代々字の上手となりたりと云ふ。
(三里尋常小学校編「村のことゞも(昭和7年発行) 」昭和48年復刻版)
 
 
玉井重助の天狗斬り
むかし、仁井田に玉井重助というて、なかなかの剣の使い手がおった。ある日のこと、高岡へ行っての帰りに長浜の文庫の鼻を通りよったら、バッタリ天狗に出合した。重助は腕に自信があるきに、天狗と渡り合うて、天狗の背に生えちょる羽根をバッサリと斬り落としたところが、さすがの天狗も羽根を置いて逃げたそうな。
 重助は、斬り落とした羽根をもって、ゆうゆうと家に帰って来たところが、その晩から毎晩のように、天狗が重助の家に来て、「羽根を返せ、羽根を返せ」といいながら、家の廻りをぐるぐる廻る。けんど、重助は、厳重に家の戸閉りをしちょったきに、天狗もなかなか手が出ない。
 ところが、ある晩のこと。重助が家の天窓を閉めることを忘れちょった。それがたまるか、天窓から天狗が飛び込んで来たかと思うと、羽根を取るやいなや、寝ていた重助をひっつかんで、清道寺山に向って飛び上がって行って、松の木の上に重助をぶら下げてしもうたと。それからはこの松を重助松と呼ぶようになったそうな。
(三里小学校開校百年記念誌「三里のことども」昭和55年11月9日発行)
 
 
開かずの天窓
 長岡郡仁井田村(現高知市)に眞言宗でしつろうか、清道寺というお寺がありました。それから玉井という家があって、この家は祖先からの言い伝えで、天窓を開けないこととなっていたと申します。
 それは何代か前の玉井十助という者が、清道寺へ碁を打ちに行って、夜おそう帰りよったところが、ちょんまげをつかんで釣上げようとするものがあって、刀を抜いて切ったところが羽が切れてのこったと申します。それを家に置くと、その翌晩から、天窓のところへ女がやって来て、返してくれ、返してくれと毎晩のように泣いたと申します。
 十助という人は、きもの坐った人であったので、取合わずにいたところ、あまりつづけてやってくるので、たんすの中に入れてあったのを出そうとすると、天窓から手がのびて、すっと取って行ったということでございます。それから、玉井家では今に天窓を開けないことになっているそうでございます。
(土佐の民俗叢書「土佐の傳説」桂井和雄著 昭和26年8月1日発行)