池地区から十津地区に抜けるトンネル

それは大正時代に掘られたトンネルで、現在は古いトンネルと並行して新たに大きなトンネルが完成しています。南国市十市の石土池→池地区の住吉池→十津地区→浦戸湾のルートでつながっている水路(十市川)の途中にあるトンネルです。

国土地理院地図



高知市池と南国市十市の両地区では海流が運んできた砂が海岸沿いに厚く堆積しています。昔からこの砂丘のうえに家を建て、砂丘の内側を田畑にしてきました。しかし、大雨が降ると水の逃げ道がないため、耕地が水没する被害が続いてきました。そこで、三里と十市の両村民が、耕地を水害から守るために排水路として開削したのが十市川(十津川)です。延長1900m余り、途中、約200mのトンネルを干蕪山(ほしぶやま)に掘るという大工事でした。1916(大正5)年1月に着工し、1919(大正8)年5月に完成しました。(中略)この工事に当たったのは1915(大正4)年設立の長岡郡三里村・十市村耕地整理組合で、仁井田砂地にある住吉神社の社地の北東の隅に1924(大正13)年5月に組合が建てた「畊(耕)地整理工事紀念碑」があります。文は竹内蜆南、書は川谷横雲によるものです。基壇の上に高さ182cm、幅65cm、厚さ25cmの御影石造りのみごとなものです。漢文で、文字も風化して読みづらいのですが、それを読み下した石碑が十市川左岸の弥生橋のたもとに2000(平成12)年3月に新しく建てられました。

(十津小学校開校30周年記念誌「はばたけ未来に」より)



池地区の三里最終処分場入り口付近から撮影したトンネル入り口。

奥にある水路は古い導水トンネルへと続いている。


十津側の出口

古い導水トンネルは右手の茂みに隠れて見ることが出来ない。



十市川最終地点の十津の水門



2000(平成12)年に弥生橋のたもとに新しく建てられた碑